25周年記念 藤野ぐるっと陶器市の歴史ルポ
商売のためだけじゃない。“藤野らしさ”を大切にして、
楽しんできたから27年も続いた「藤野ぐるっと陶器市」
毎年5月の第3土・日曜日に開催され、陶芸家を中心にさまざまな作家が作品を販売する「藤野ぐるっと陶器市」。藤野周辺で暮らす人々やお目当ての作家の作品を求める人々で賑わい、旧藤野町エリアを代表するイベントの一つとなっています。
ところが、気がついたときには当たり前に開催されていて、その始まりについてよく知らないという人は、意外と多いのではないでしょうか。
藤野ぐるっと陶器市は1999年5月にスタート。コロナ禍による2年間の中止を挟んだのち、2026年に記念すべき25回目の開催を迎えました。いったいどのようにして始まり、長きにわたって続いてきたのか。発起人である陶釉舎の碓井直弘さんに、四半世紀の歩みを振り返っていただきました。
わずか5カ所から始まった陶器市
陶芸家の碓井直弘さんと、パートナーで同じく陶芸家の吹田千明さんは、結婚を機に、二人分のアトリエが構えられる場所を探して、芸術家への空き家の斡旋を積極的に行なっていた旧藤野町へ37年前に移住してきました。その後、縁あって篠原地区に土地を購入。1997年にアトリエと自宅を新築し「陶釉舎」を設立しました。陶釉舎は、本格的な陶芸教室と陶芸体験の場でもあり、多くの生徒さんが通っています。今ではプロとして活躍している卒業生もいるそうです。
「1998年10月に地域への陶釉舎のお披露目も兼ねて、生徒さんたちの展覧会をやったんです。それが陶器市の前身っていうのかなぁ。200人ぐらいお客さんが来てくれて、こんなに来るんだったら、何軒かで同時多発的に展覧会を開催して、いろいろなところを見て回れたほうがお客さんも面白いんじゃないかなと思ったんです。それで、地域の陶芸家仲間に声をかけて始めたのが『藤野ぐるっと陶器市』でした」
第1回の参加は篠原地区にある陶釉舎と高橋安子スタジオ、今はなき妙心庵、そして名倉地区にある静風舎とそのお隣のFOREST MARKET。「ぐるっと」というのは、当時すでに始まっていて、現在も続いているイベント「ぐるっとお散歩篠原展」からとったもの
それぞれが自宅やアトリエをオープンハウスにする形で始まった藤野ぐるっと陶器市。第1回の会場は、わずか5カ所でした。
「私が言い出しっぺだったので事務局は私がやることにしたけれど、最初は代表も決めず、会則もなかった。日にちだけは決めて、簡単なチラシをつくり、あとはそれぞれがそれぞれのやり方で開催してくれればいいっていうゆるい感じでした」
当時すでに、旧藤野町では「藤野ふるさと芸術村メッセージ事業」が始まっていました。その流れの中で、1992年には在住芸術家らが主催して「炎舞響刻」というイベントを開催。その際に4、5名の在住陶芸家によって、家を3軒燃やすぐらいの(!)大規模な野焼きを行なったのだそう。
「相模湖の流木や地元の製材所からもらった材を組んで、その周りに産地のメーカーが無料でくれた土を積み重ねて、野焼きをやったんです。1994年には、秋山川の河原で『藤野クレイヤード』っていう陶芸の野外展もやりました」
このような動きから在住陶芸家同士がつながり、藤野ぐるっと陶器市に発展していった、と碓井さんは振り返ります。
「炎舞響刻」の野焼きの準備の様子
かつて別の取材で「今だったら絶対に許可が降りない」と話した人もいたほど大規模な野焼き。その周りで舞踏家が踊っていたそう
「藤野クレイヤード’94」パンフレットより
「第1回の陶器市も2日間で200人ぐらい来てくれました。それぐらいの集客だと商売にはならないんだけど、僕が陶器市を企画した大きな目的は、さっきも言ったとおり自分たちの存在を地域にお披露目することだった。ちょうどその頃ね、オウム真理教の事件があったんです。近くに潜伏していた人もいたみたいだから、地元の方々から『怪しいやつらが来た』って思われていそうな雰囲気がすごくあった(笑)。じゃあ、何をやっているのかちゃんと見てもらって、そんなに変な人じゃないということをわかってもらおうと。芸術家っていっても特別なわけじゃないし、ただの普通の人ですよって」
初日の夜は持ち寄りパーティ!
地域の人たちとの関係性づくり。そこに重きを置いていたからこそ、最初の10年間は陶器市だけでなく、初日の夕方に陶釉舎を解放し、誰でも参加OKの持ち寄りパーティも開催したそう。「藤野で最初に持ち寄りパーティを始めたのは陶釉舎ですよ」と碓井さん。
藤野ぐるっと陶器市の発起人で陶釉舎の碓井直弘さん
「誰でも来てくださいって言って、みんなで一緒に楽しめるパーティにしたんです。周りに民家もないし、音がよく響く天然の野外劇場みたいな環境なので、バンド演奏も自由にやってもらった。地元の方も結構来てくれましたよ。僕は入口に生ビールのサーバーを置いてビールを売るだけで、あとはみんなの好きにしてもらいました」
初期のチラシ
重視していたのは、生徒さんたちの発表の場であることや地域住民との交流。当初は、町からの補助金も一切もらっていなかったため、これといった縛りもなく、自由にやっていたそうです。
「ただ、それは僕個人の目的で、ほかの人たちがそれぞれどういう目的で参加していたかっていうのは、また違うと思います。そこは、それぞれ勝手にやってもらっていただけなので」
目的の確認や統一はしないまま、それでも続いて盛り上がっていくのがなんとも藤野らしい展開です。もともと陶芸家の移住が多かった地域でもあり、その後、参加希望の手がどんどん上がるようになって、毎年のように会場が増えていきました。さらに、陶芸家の自宅やアトリエ以外の会場も増えていったのだそう。
「最初は藤野在住の陶芸家に限って、自宅やアトリエをオープンハウスにするという企画にしていました。だけど『ふじのアートビレッジ(コンテナ型工房・ギャラリーが集まるアートスポット)』ができた時、陶器市に参加したいと言われたんだよね。それで、お店なんかも参加できるようにしたら、さらに数が増えてきた。ペラのチラシじゃ情報が入りきらなくなって、チラシの判型を大きくしたりしてね。しかも1カ所に10人ぐらい出店する会場がたくさんあって、今に続く陶器市の形になっていったんです」
組織体制の変化、そして補助金の活用へ
時代、時代でチラシの雰囲気もサイズも変わっている
碓井さんは、2006年まで事務局を務めていましたが、2007年にタイの大学に講師として赴任することになり、静風舎の故・副島泰嗣さん(名倉地区在住の陶芸家。陶器市の立ち上げメンバーの一人で、2007年から事務局、のちに代表を務める。陶器市には2019年まで参加)に引き継ぎます。さらにその後、若手の在住陶芸家らが運営を担うようになりました。
「体制が変わってからメッセージ事業の補助金をもらって、シャトルバスを運行しようという話になって、だいぶ流れが変わりました。僕は補助金をもらうのは反対だった。補助金をもらうとどうしてもそれに頼ってしまうから基本的にはお金をかけないで、なるべく少ない予算でやりたいと思っていました。あと、ちゃんとした組織をつくらないと、補助金の対象にならないんだよね。だから代表を決めたり、会則をつくったりしないといけなくなる。そういうのもなんか違うんじゃないかなと」
ただ、実際問題として車がないと行くことができない会場がたくさんあり、シャトルバスの要望が多かったこと、規模が拡大したことで売上を期待して参加する作家さんが増えていたこともあり、集客に向けた対策も求められました。話し合いの末、2015年度からシャトルバスを運行することになり、結果的には好評を博しました。
日連神社(2025年撮影)
会場数のピークは2019年の24カ所。藤野でも最大規模のイベントとなり、圏央道の開通も相まって、来場者数も他のイベントと比較にならないほど増えました。一方、旧藤野町エリアは端から端まで車で1時間はかかる広さがあります。丸2日間かけても、24会場すべてを回るのは至難の技であり、イベントの規模としては限界に達していました。
産地ではない地域で開催される陶器市の先駆け
なぜここまで藤野ぐるっと陶器市が大きくなって盛り上がったのか。その理由の一つに「産地ではない地域で開催される陶器市の先駆けだったから」というのがあります。
「僕らが陶器市を始めた頃は“陶器市は焼き物の産地がやるもの”というのが常識でした。もともとは『蔵ざらい』といって、売れ残り品やB級品など、蔵に眠っているものを在庫処分するのが陶器市の目的だったんです。だから、焼き物の産地でないところが陶器市と名乗ること自体がタブーだった。産地以外で陶器市って名乗っているところは、藤野以外なかったんじゃないのかな」
なんと、業界のタブーを打ち破って始まった画期的な陶器市だったのです。
「最近では、陶器市やそれに類似するイベントが、そこらじゅうで開催されていますよね。産地でも、在庫処分じゃなくて陶器市用にわざわざ作品をつくって売るようになった。藤野ぐるっと陶器市もいつの間にか遠くから来るお客さんのほうが多くなったし、イベントに出店して生計を立てることは、作家さんにとっても当たり前のことになりました。そういう流れの先駆けとして藤野ぐるっと陶器市は注目されたんです」
やめるのではなく、分かれて続ける
こうして、地域に根付き、対外的な評価も得て盛り上がりを見せていた藤野ぐるっと陶器市。しかし、コロナ禍の対応をめぐって、大きな転機が訪れました。
「コロナ禍のときに開催するかしないかで、陶器市のメンバー間でも議論になりました。僕は、政府の自粛要請も出ていたし、イベント期間中に何かあったら困るから、陶器市という形でやるのは無理じゃないかという意見でした。ただ、それは僕が大学で教えていたり、陶芸教室をやっていたり、作品を売る以外の収入があったから言えた側面もあるんです。多くの作家は、陶器を販売して、その売上だけで生計を立てている。そういう作家たちにとって、これだけ規模の大きい陶器市が中止になることは収入に直結する非常に大きな問題でした」
さらに、さまざまな人のさまざまな意見も表面化してきました。高額の器が売れるような洗練された陶器市にしていきたいという意見があったり、陶芸以外の作家さんも多数出店していることからクラフト市に名前を変えたほうがいいのではないかという意見があったり。関係者が増えたことで、みんなの意見を一つにまとめることが難しくなりつつあることが、コロナ禍の議論を契機に浮き彫りになったのです。
その結果、コロナ禍明けの2022年より、陶器市は大きく二つに分かれました。一つは現在、4月に開催されている「Fujino Art Days」というアートを全面に打ち出した企画に。一方の藤野ぐるっと陶器市は、会場が9カ所まで減って約半分の規模に。毎年、会場のいくつかの入れ替えがありながら、2026年現在は10カ所が参加しています。
工房艸(2024年撮影)
それまで、藤野の最大規模のイベントとして認識されてきた陶器市の規模縮小や二つに分かれたという話に、この先どうなるのかと心配した地域住民は多かったように思います。しかし碓井さんは「まぁ、そういうこともある」と冷静に受け止めていたそうです。
「時間が経って人が増えると、当然だけどそれぞれ考えも違うし、意見が合わなくなってくるのはやむを得ないですよ。むしろ20回もよく一緒にできたなぁって思っているぐらいです」
最初が5カ所での開催だったことを思えば、ある意味でこれは原点回帰のような縮小だったのかもしれません。実際に会場を回ってみると、9カ所でも作家数は十分に多く、見応えもしっかりあります。また、10カ所前後というのは、2日間あれば全会場を無理なく回ることができ、各会場でのんびり過ごすこともできるちょうどよいサイズ。駐車場が満車で長時間待たなければならないこともなく、お客さん側としてもより楽しみやすくなったと感じました。現在の来場者数は、その年の天候にもよりますが、1000〜2000人ほど。大きすぎず、小さすぎず、ちょうどいい規模に収まった印象があります。
「今までいろいろな藤野のイベントを見てきたけれど、規模が大きくなりすぎて、交通や騒音などの問題で開催できなくなるパターンが多かった。藤野は山間部で広い土地がないから、駐車場のキャパシティが限られているんだよね。だとすると、用意できる範囲で無理なく開催できるようにしないといけない。だから僕らも、なんでもかんでも集客はしないっていうのかな」
陶釉舎までの道のりを歩くお客さんたち。遠いけど、山々の景色を眺めながら歩くのも楽しいもの(2025年撮影)
「例えば、昔は緩かったから陶釉舎の前に車を停めてもらってよかったんです。そうすると、お客さんはたくさん来てくれるんだけど、来た人が必ずしも買うとは限らなかったんだよね。今は路上駐車は絶対ダメだから、篠原の里からわざわざ15分かけて歩いてこないといけなくなった。そうするとなんかね、みんなここまで来たからには手ぶらで帰るわけにはいかないって思うみたいで、何かしら買っていってくれるんだよね(笑)。一見のお客さんじゃなくて、本当に買いたい人が来てくれるようになった感じがする。そんなふうに、お客さんの数はほどほどでもいいから、来てくれた人がちゃんと作品を買って帰りたくなるようなイベントにしていくのがいいんじゃないかなと今は思っています」
それぞれが好き勝手やって、楽しんで参加している
出店者数がもっとも多い会場「keramos(篠原の里)」(2024年撮影)
量だけでなく質を追求する。現時点での一つの陶器市の方向性が見えてきました。紆余曲折、いろいろなことがあった27年間ですが、それでも終わることなく続いてきたのはなぜなのでしょうか。
「うーん、どうしてだろう…? 僕らも別に何十年もやろうとして始めたわけじゃなくて、10年ぐらい続けばいいかなと思っていたんだけど。でもやっぱり、そもそもそれぞれが“好き勝手にやる”っていうコンセプトから生まれたイベントだからなのかな。途中で会則をつくって、今は一応会則に則ってやっているんだけれども、根本的な“藤野らしさ”みたいなものはずっと大切にしている。そうじゃないと、単なる商売のための陶器市になって、殺伐としたものになったと思う。藤野らしさとは何かということを、みんながどこかで考えながら好き勝手に楽しんで参加しているから、続いてきたんじゃないのかな」
碓井さんの考える「藤野らしさ」とは?
「アバウトなところ(笑)? あと藤野は、基本的に親分と子分の社会じゃないっていうね。誰も偉いと思ってないし、誰も上に立とうとしない。だから事務局もね、陶器市が二つに分かれた時に、あなたがもう一度やらなきゃって言われたんだけど、僕は新しい人にやってもらったほうがいいと思って、林正人さん(陶芸家。現在の藤野ぐるっと陶器市実行委員会・代表)に代表になってもらったんだ。若手が少ないから、林さんの後をどうするかっていうのがこれからの課題なんだけど、まぁ、なるようになるでしょう。一度はやめたけどまた一緒にやりたいっていう人がいたっていいと思うし、新しい人も大歓迎。どんどんリフレッシュしていってほしいです」
「藤野」は“一つの概念”なんじゃないか
あらためて振り返ると「陶器市」と「藤野らしさ」という芯だけはぶれずにもちながらも、時代や状況の変化に応じて体制を変え、規模を拡大したり縮小したり、柔軟に進化してきた歴史がわかります。
「僕は、先日開催された『しのばらグリーンデイズ』というイベントで、ガーデンデザイナーの矢田陽介さん(篠原地区在住。グリーン/ガーデンショップ&ギャラリー『botanien』のオーナーでもある)とコラボレーションして器をつくりました。年寄りになるとさ、そういう刺激がないと慣れていることしかやらなくなっちゃうんだよね。それは良くないので、この先もたまにはそういう小さな冒険をしなきゃいけないなというのが、陶芸家としての個人的な思いです」
しぜんと遊ぶ(2025年撮影)
「あとね、藤野っていうと、今は基本的に旧藤野町のことを指しているでしょう。それをもっと広げようっていう話があるんですよ。例えば、藤野以外の地域でも陶器市に参加したいっていうところがあるんです。すると、果たしてそこまで含めて藤野って言っていいかどうか、という話になる。僕は、現実問題としてシャトルバスを回すのは難しいとしても、そういうところも藤野に含めていいんじゃないかなと思っているんです。
藤野自体はやっぱりユニークなところです。瀬戸内国際芸術祭をやっている直島は芸術を産業化して観光地として成功したけれども、藤野はそもそも観光地にしたいとか全然思ってないわけだよね。まちおこしだなんだって言われても、藤野ではそんなこととっくのとうにやってますよ、みたいに思うことばっかりじゃない。なんていうか『藤野』は、もう地理的なことを指しているんじゃなくて“一つの概念”なんじゃないかなと。だからこれからは、我々が思っている藤野らしさとか藤野マインドみたいなものがあるかないかが、藤野を考えるうえで、すごく重要なんじゃないかなと思います」
「藤野」という概念を拡張する。外面ではなく、内面を見つめ、つながる。その先に待っているのは、より自由で柔軟で、もしかしたら客観的には理解不能な「藤野らしさ」の連鎖なのかもしれません。クリエイティビティ溢れる土壌で、藤野ぐるっと陶器市はさらに育まれ、変化し続ける。気になる作家さんやお気に入りの陶器と出会えることはもちろん、積み重ねてきたプロセスとつながりの存在が、藤野ぐるっと陶器市の魅力であり、ファンが多い理由なのではないでしょうか。
(取材・文/平川友紀)

